バーサス怪魚

 三百年に一度、伝説の怪魚が現れるのがそろそろだとむさしのおやじが言い出した。

「何スか伝説の怪魚って」

 ラギーが訪ねると、むさしのおやじは伝説の怪魚について語り始めた。いわくこの地域に伝わる伝説によると、三百年に一度程度の周期でこのあたりに嵐と共に海から巨大な魚のような魔法生物が現れ周辺の村に甚大な被害をもたらしたということだった。

 ナイトレイブンカレッジにいた頃は魔法関連のトラブルに見舞われることはたびたびあったが、こんなに平和で魔法のにおいも薄い町でそんなことがあるのか、とラギーは思った。

 歴史や地理にもともと興味がないラギーだったが、おやじの話の流れでこの町にある遺跡が対怪魚用の魔法士の防衛基地の名残であることも初めて知った。

 定食むさしはラギーのランチタイムのバイト先だ。町の人からむさしのおやじと呼ばれている店主は昔世界中を料理修行して回っていたそうで、むさしというのは極東の小国にいたとされる古豪の名前らしい。その国の食文化を気に入って開いたのが「定食むさし」だということをラギーは初日に聞かされた。

 おやじは表情がいつも同じで全く変わらない。唐突にどこで仕入れたのかわからない雑学的な話をしだすので変わり者という評価をされていた。

 ランチタイム調理補助等アルバイト募集中、とだけ書かれた貼り紙をみて、バイト希望を伝えたラギーの提示した簡単な履歴書を見ながら、おやじは

「夕焼けの草原出身」

 とつぶやき、本棚から地図帳を取り出して夕焼けの草原のページを開いたあと、ラギーの顔と耳をじっと見て

「ナイトレイブンカレッジ卒業」

 とさきほどより大きな声で言ったあとに

「立派な学校を出てらっしゃる」

 と言った。世界中を旅したというのはどうやら本当らしい。

 キャベツの千切りをやってみせるという実技試験ののち、ラギーはまかない付き時給もまあまあのバイトに見事採用された。

 魚をさばいて生で食べる文化はもともとそれほど魚を食べる習慣のないラギーにはなじみがなかったが、そこは持ち前の器用さでおやじの指導のもと三日で客に出せる「おさしみ定食」を作れるようになった。食べることは生きることだと教えられて育ったラギーは、食に関わる仕事はやる気も出たし、スラムのばあちゃんにもらった料理の技術を活かせるのもうれしかった。

「おやっさん、皿も洗い終わったんでオレそろそろあがりますね。おつかれっした」

 はいおつかれさんね、とおやじは立ち上がると外まで一緒に出てきて営業中の札をひっくりかえして準備中にした。店は西町に向かう途中の観光客や遺跡関連の作業者が昼食をとりに立ち寄ることが多いが、昼時を過ぎれば人は来ないのでおやじは一度店を閉じて、夕方まで趣味の読書や昼寝を楽しむのだ。少し風変わりだが、仕事の教え方は上手いし一緒に働く分にはやりやすい人物だとラギーは評していた。変わり者の知人ならたくさんいるから慣れている。

 それに、彼のポリシーなのか時おり口にしている「食べることの幸せを知っている人間は幸せになるのが上手い」という言葉がラギーは好きだった。

「ってことらしいッスけど、レオナさん知ってました?」

 ふっこちゃんを迎えに行く道すがら、怪魚の話をレオナにすると、レオナはああそんな話もあったな、と言った。

「この地方は歴史が古くて、魔法関連に縁のある場所も多い。この辺は昔から良い漁場だが怪魚が暴れまわるから魔法士が調伏したって話だな。何度も遠征して倒すことはできなかったけど限定つきの封印は施すことができた。暦上それが緩むタイミングが三百年に一度くらいあるって文書が残ってるらしいが」

「そんなレアなタイミングがもうすぐってことッスか。というかレオナさんよくそんなこと知ってましたね」

「もともとこの町のことを知ったのが遺跡に残された封印魔法絡みだったからな」

 三百年に一度程度しか緩まないなら人の寿命に対してなら永遠みたいなもんだろ、と言ってレオナはくあとあくびをした。

(この人、もしかしてユニーク魔法を封じようとしたことがあるのか)

 ラギーはかつて自分の命を奪いかけた強大な魔法を思い出す。全力での発動はあのときくらいしか見たことがないし、それ以外ではコントロールされた小規模の発動しか知らないが、あの魔法が第二王子であるということ以上にレオナの居場所を奪っていたことは想像に難くなかった。

「ガキの頃の話だ。別に今は封印しようなんざ思ってねえよ」

 ラギーの心中を見透かすようにレオナが言う。

「俺のものだからな」

 王族という人の上に立つものだからか、レオナは自分が本当に果たさなくてはいけない責任は果たす人間であることを、ラギーはよく知っていた。夕焼けの草原が平和な国であるからこそレオナのユニーク魔法は疎まれたが、有事とあらばその力はもてはやされたであろう。兵器として、本人が望もうとも望まざろうとも。普通の人間ならやっかいな荷物として放り出したくなるだろう。それでもその魔法を自分に属するものとして手放さないことを決めたレオナのことを、ラギーは難儀な人だなと思った。。

「遺跡やら関連文書やらが残ってる以上ただの与太話でもないんだろうな。まあ来るときは来るだろ」

 そんときゃそんときだ、といってレオナはまたあくびをした。

「おおととさまがくるぞーどんどこどんーどんどこどんー」

 幼稚園に到着するとふっこちゃんが今日習ったらしい怪魚の到来をテーマにした歌と躍りを他の園児と共に披露してくれた。

「園長先生が作ったおうたなの」

「のんきだな」

 上手ッスねーと誉めるラギーと対照的にレオナはつぶやいた。

「避難訓練もしました」

 ふっこちゃんは自信満々に言うが、実態のよくわからない怪魚に対する防災マニュアルは存在するのだろうかとレオナは思った。

 往路では気づかなかったが、怪魚の件はそれなりに話題になっているようだった。帰り道に寄った商店ではおおととさま饅頭なるものが売り出され、本屋の扉には伝説の怪魚フォトコンテストの手製のポスターが貼ってあった。

   ◇

「ちょっとしたイベントみたいになってるね」

 ふっこちゃんがまたおおととさまの躍りを披露して、それに拍手を送りながらブラウンは言った。

「苦労して封印したような魔法生物が来る割には危機感みたいなもんがねえが大丈夫なのか?」

 レオナが聞くと、

「ぶっちゃけやばいね」

 と彼は答えた。

「ぶっちゃけやばいって……古来の魔法生物が暴れて漁場が荒らされて、魚がとれなくなって困りました、程度じゃないんスか?町のうかれっぷりを見てると」

 それでも食べ物に影響出るのは一大事ッスけど、とラギーは付け加えた。

「うーん一部史料には破壊光線で当時あった漁村が焼き払われたって記載もあるんだよね」

 ラギーの疑問にブラウンがのんびり答えるが、のんびり答えるような内容ではなかった。

「……それは同じことが起こりうるってことか?」

「史料がすごくたくさん残ってるわけじゃないからね。漁村の規模がどの程度だったかもあんまりはっきりしてないし。でも封印される前は怪魚が現れる度にこの辺りの人里は壊滅してたらしいんだよ。漁場があったらしいし普通人の暮らしてた跡ってもう少し海沿いにあってもおかしくないのに、あの小高いところの遺跡しかないだろう。あそこは生活の形跡はないし。たびたびやられてるのは本当じゃないかなあ」

 避難は必要だと思うから、フォトコンテストはまずいと思うんだよねえ、と相変わらずゆったりとしたトーンでブラウンは話す。

「それってかなりヤバイんじゃ……」

「なんでそんなのんきなんだ……」

 ラギーとレオナが呆れて言うとブラウンはこともなげに

「君たち、怪魚退治請け負ってくれない?」

と言った。

 二人は何となくそう言われる予感がしていた。

 頼まれてはいやりますと答えるほどお人好しではなかったが、二人にはここに住めなくなると困るそれなりの事情があった。つまり単純にこの町に壊滅されると困るのだ。

「念のために聞きますけど、報酬は?」

 とラギーが訊ねるとブラウンは

「予算がなくてね」

 と両手を広げるポーズをとった。

「タダ働きッスか」

 ラギーが肩を落とす。

「うーんじゃあこういうのはどうだろう。この町の住民は消防活動か清掃活動どっちかの当番をやらなきゃいけないんだけど、今回の件を消防活動と見なしてそのへんを免除するっていうのは」

「そんなのあったんスね……まあもらえるもんはもらっときますけど……」

 危険度に全然見合ってないッス、とラギーがぼやく。

「お前にそんな権限あるのか」

「私は地域消防団の団長だからね」

 レオナが尋ねるとブラウンが胸を張る。

「じゃあもう少し町の連中に危機感持たせろよ……」

「普段は魔法生物や魔法災害に縁のない土地だからね。なかなか伝わらないんだよ。一応多少の手は講じてるけど。」

 外から魔法士を呼ぶのはできれば避けたいし、ともブラウンは言った。そこはレオナとラギーも利害の一致するところだった。

「まあやるしかないってことだな。俺たち自身のためにも」

「すまないね。もちろん私もできる範囲で協力するから」

 ブラウンは珍しく本当にすまなそうな顔をしていた。もしかしたら家を貸りることになったときに、既にこの依頼をすることを考えていたのかもしれなかった。

   ◇

「俺らは基本攻撃魔法のほうが得意だし封印魔法みたいな高度な補助魔法は相性が悪い」

 奪い壊すのイマジネーションがより強固なのは魂の性質によるものなのだろう。夜、レオナの作戦をききながらラギーは頷く。

「ユニーク魔法はお前のは人型相手じゃないから効かねえだろうし俺のは魔法生物相手だと消耗が激しすぎる。ここまで出てる情報だと動物言語での説得も難しそうだな。魚だし」

「あのーオレには詰んでるって言ってるように聞こえるんスけど……」

「木・火・水・無属性の基本の攻撃魔法で削り取るしかないだろ。暦で解ける封印なら日付が変わるまで持ちこたえればいい」

「雑!」

「俺が雑なのはお前もよく知ってるだろ」

 レオナは口の端をあげてみせたが、ラギーは納得せず眉間に皺を寄せて反論した。

「レオナさんが雑なのはよーく知ってますけどね! ちゃんといくつも先の手を読みたがる人だってことも知ってるんスよ! レオナさん頭が良いからいろいろ考えてるんでしょうしいざとなったら自分でなんとかしちゃうつもりなんでしょうけど、その作戦教えてもらえない方の身にもなってくださいよ!」

 人をうまく使えって言ったの、あんたでしょうが、と言いきるとラギーの耳はぺしゃと垂れた。

「一緒にやりましょうよ。これからも一緒にいるためのタダ働きじゃないッスか」

 レオナはしばらく黙っていたが、す、とラギーの顔に手をのばした。そのまま頬の横の髪に指を差し入れる。出会った頃は安い石鹸で洗われてごわついていた髪も今ではふわふわしていて心地よい。

 あ、キスされる。ラギーがそう思って目を閉じようとしたところでぎゅっと頬をつままれる。

「いった! なにするんスか!」

「キャンキャンうるさい」

 レオナはラギーの胸元をぐいとひっぱると今度こそ唇にちゅっと音を立ててキスをした。

「まあそうだな、お前の言う通りだ。愛の共同作業っていうのも悪くない。説明するからちゃんと覚えろよ」

 いつもの偉そうなニヤニヤ笑いでレオナは言う。説明するからちゃんと覚えろよ、学生時代と同じ響きのその言葉にラギーは笑って、やってやるッス! と答えた。

 たまにちょっと恥ずかしいスイッチ入るとこが王子様っぽいんだよなとラギーは思ったが、やめてほしくないからそれは黙っておいた。

   ◇

 ラギーに言われるまで、いざとなればユニーク魔法で解決するつもりだった。消費魔法量はともかくとして、この町にきてからずっと自分のメンタルが安定し、それどころか浮かれているのをレオナは感じていた。ギリギリオーバーブロットせずにすむかもしれない、もし万が一の事態になっても負の感情エネルギーが低ければラギーでも制圧できるだろう、そんな風に考えていた。

(一緒にいるためのタダ働きか)

 この仕事を引き受けた理由はラギーと始めたそこそこ快適なこの生活を守るためだった。そのためなら手段を選ばないつもりだったが、背水の陣とは自分らしくない。手段は、選ぶものだ。

「雲、ヤバイッスね」

 数日後、天候がにわかに崩れ真っ黒な雲に空が覆われ、それを怪魚到来の予兆と捉えた二人は海岸に立っていた。高濃度の魔力の渦も感知でき、「なにか」がやってくる気配は十分だった。

 海岸沿いの道路には何人かの野次馬が集まっていた。

「避難させなくていいんスかね」

「いやおおむね避難させたよ。避難しなかった人は仕方ないね」

「うわっブラウンさんいつ来たんスか。というかブラウンさんは避難は?」

「ふっこちゃんだけ幼稚園の先生にお願いしてきたよ。いっただろう。できる範囲で協力するって。ちょっと後ろに下がらせてもらうけど」

 私は消防団長だからね、とブラウンは言うが、町を破壊し尽くすかもしれない危険生物の退治が地元の消防団長の仕事とはラギーにはとても思えなかった。

「一応大きな町の防災課の魔法士部隊に救援は頼んだ。到着には時間がかかるだろうけど」

 ブラウンが話している途中で、レオナが来る、と呟いた。

 と、同時に沖合いに突如として水柱があがる。水柱が消えるとその場所に浮いていたのは巨大な魚だった。虹色に輝く鱗を持ち、尾びれと背鰭は闇のように真っ黒、体長5メートルほどの体は何らかの防御魔法をまとっていると見え淡く光っていた。雷が鳴り、雨も降り始めた。

「浮くのかよ!」

 水際での防衛を考えていた二人は同時に叫んだ。それを合図にするかのように、怪魚がかぱ、と口を開け、魔力が増大し凝縮されていく。

 これは。察知したレオナが伏せろ! と叫ぶ。その瞬間ご、という音と共に怪魚の口から光線が発せられ、その場にいた人間の頭上を走り、山の上にある電波塔を直撃した。

「避難の意味ねえだろ……」

 射程があまりにも長すぎる。

「次が来るよ」

 こんなときでも冷静なブラウンの声がし、二人が身構えると、空中を高速移動し、砂浜まで接近した怪魚のそばにきゅるきゅると水が集まりいくつもの水球ができあがった。水球は同時にレオナたちに発せられ二人はそれらを避ける。どしゃどしゃと落下した水球は砂浜を大きくえぐった。

「レオナさん!」

 再び収束を始める次弾に対してラギーが妨害魔法をかける。さきほどより小さい水球は発射されたもののレオナによって展開された防御壁によって弾け消えた。さきほどの光線レベルになると防ぐのは難しいがこの程度の魔法球なら対応できる。

「さっきの光線はさすがに再充填には時間がかかるらしいな」

「ッスね。ただ、」

 ラギーは喋りながらマジカルペンを振るい三つの無属性の魔力の固まりを放つ。一つはよけられまた一つは尾で弾かれ、最後の一つが怪魚の腹のあたりに直撃した。が、薄く怪魚の体を覆う魔力の膜が威力を殺し思うようなダメージを与えられない。

 続いてレオナが両手から木属性の突風を起こし、突進してくる怪魚を挟み削るように撃つが怪魚に触れると魔力が解かれ微風となって消えてしまう。その瞬間を狙って間髪いれず魔力を固め伸ばした高速の矢を二人がかりで大量に発射するがやはり弾かれ、そのまま体当たりを仕掛けてくる怪魚をギリギリで避けた。距離を取り次の動きに備える。

「これ、全く削れないッスよね……」

 ラギーが顔を引きつらせる。

「打撃も摩擦も刺突もろくにきかねえ。まずいな」

 守備が鉄壁なのは厄介だった。先ほどの光線の再発射までに消耗させて落とすか、それが難しいなら光線が二人の防御壁で防げる程度まで弱らせるのが当初の計画だったが、今のままでは弱体化することすら難しい。

「レオナくん、ラギーくん、もう一度だ」

「?」

 何をする気か尋ねる前に、ブラウンの言葉に応じ、二人で魔力の塊を撃つ。すると魔法の進路に光で編まれた魔方陣が現れ、それを通過したとたんに塊は巨大化し、そのまま怪魚にヒットした。

「――!!」

 効いている。怪魚が空中でのたうつ。巨大な体を覆うバリアの光がややぼやけた。

「すげーブースト魔法……。扱い方によっちゃ兵器じゃないッスか……」

「平和的な目的にしか使わないよ。それより」

 ブラウンが怪魚を指差す。

 怪魚は動きを止めて、小刻みに震えていた。追い討ちをかけようとレオナとラギーが構えると、次の瞬間大規模な回復魔法が発動し、巨大魔法生物の体を多い尽くした。そしてたった今やっと削いだと手応えを感じられた魔法壁の損傷は完全に修復されてそこにあった。

「マジか……」

 二人の口から全く同じ言葉が出た。何度繰り返しても全てなかったことにされこちら側にだけ疲労が蓄積される。ユニーク魔法ほどではないとはいえ、このまま続ければあっという間にマジカルペンについた石は真っ黒に染まるだろう。

「ラギー」

 次の攻撃に備えながら、レオナが低い声でラギーを呼ぶ。

「プランBだ。やれるか」

「……何秒ッスか」

 エメラルドグリーンとグレイッシュブルーにお互いの姿が映る。

 何だってできるような気がして、夢を見て、失敗したこともあった。けれどもうあの頃とは違う。やれるという同じ確信が二人の中にはあった。

「百八十秒だ。逃げきれよ、ラギー」

「朝飯前ッスよ。オレの逃げ足なめないでくださいね!」

 レオナの信頼を足にのせてラギーが駆け出す。ここまでで最多の魔法球を周囲に展開しランダムな起動で怪魚に対して撃ち込む。ブラウンの補助魔法を受けて増幅された無数の攻撃魔法は怪魚の周囲三百六十度あらゆる方向からタイミングをずらして次々と着弾し、回復魔法の発動と損傷修復を遅延させるのに十分な効果を発揮した。

 ダメージを八割ほど回復後、怪魚の放ったいくつかの水属性魔法をラギーは全て躱しきり、そのまま接近した。

「こンのクソ魚――!」

 ラギー渾身の飛び回し蹴りが怪魚の頬に直撃した。

「――!」

 宙に浮いていた怪魚は数メートル飛ばされた後地に叩きつけられ砂にまみれ、これまで全ての攻撃が魔法壁に阻まれてきたのが嘘のように、血を流している。

「っシャ!」

 ラギーがガッツポーズをしてレオナを見る。

(思った通り)

 それを見たレオナは自らが発動しようとしている魔法に意識を集中させつつも内心ほくそ笑む。

 この地の遺跡についてはレオナも調査したが、魔法戦闘基地としてかなり高度なもので、そんなものを作り上げた魔法士たちが苦戦し、封印までしか実現しなかったのは、対魔法において殊更に怪魚が強かったからではないかというのがレオナが立てた仮説だった。そして実際に相対してみれば怪魚の使う魔法は遠距離攻撃に特化していた。

(なら物理で仕留めれば良い、そして)

 怪魚は再び宙に浮き体勢を整える。わずかながらラギーのつけた傷が回復しつつある。魔法ダメージに対する修復ほど効果はないようだが、体躯の大きさゆえに人の体躯で与えられる損傷程度ではおそらく致命傷には届かない。

(ステゴロで殺しきれないなら武器を作れば良い)

 レオナは集中を高める。

 ユニーク魔法の分解のイメージとは逆の、細かくわかれたものを一つに再構築するイメージ。静かに少しずつ魔力を分散させ注入し自分のモノとする。究極的には物質への支配という点でユニーク魔法と変わらない。何より発動までの時間稼ぎはラギーがしてくれる。レオナは成功するビジョンしかもう見えなかった。また自分に可能だという確信は魔法に不可欠なイマジネーションを強化する。発動まで、あと少し。

 怪魚はまっすぐにラギーの方を向いている。魔法発動の予兆に気づいてレオナを妨害する可能性も計画には織り込んでいたが、そこまでの頭脳はないということか、とラギーには思えた。損傷を与えたラギーに対し怒りを覚えているのかもしれない。

 物理攻撃が有効であることを確認するために蹴りは入れたが、後はうまく引き付けてかわしきれば良い。足の速さと逃げきるためのスタミナには自信がある。ラギーにとっては心地よいレオナの魔力の匂いはこの砂浜全体に満ちはじめていた。

 さて、次だとマジカルペンを構えたところで、ラギーの頭上に突如として、ぽん、と水でできた輪が出現した。ちょうど天使の輪のようなそれは静かに浮いている。

「え?」

 レオナとブラウンもそちらに視線をやる。なに、とラギーが言いかけたところで輪はぶわと広がり直径一メートルほどの大きさになると輪の中の何もなかった空間から大量の水が落ち始めそのままラギーを覆い尽くした。

「ラギー!!」

 水の柱に閉じ込められる形になったラギーは苦しそうにもがいている。

「ガっ……レオ……ナさ……」

 ラギーは内側から水と空気の境界面を叩くが、外にその拳は出られない。簡易結界の一種だろう。

「クッ……!」

 呼吸のままならない状態でラギーが中から結界を破ることはおそらく不可能。一度武器錬成の魔法を止め結界を破ってから仕切り直すしかない。だが仕切り直せるほどの魔力はもう――。

 レオナが思考を高速で巡らせる間に、いつのまにか怪魚はこちらを向いていた。感情のない海の底の暗闇のように真っ黒な目がレオナを見ていた。お前のやることなど全て無駄なことだとでも言うかのように。

「クソ……ッ」

 レオナは今自分がすべきことも、それしかないことも理性ではわかっていた。だけど。ラギーが。

そのときレオナの目にチカッと光が刺さる。水の中でラギーのマジカルペンが光を発しレオナに向けられている。体が動かない。ラギーのユニーク魔法「愚者の行進」が、発動していた。苦しそうなラギーはそのまま親指と人差し指の間にペンを挟んで手のひらを見せ「静止」を示す。

(く、る、な、や、れ)

 ラギーは口を動かし、それは魔法によりレオナも同じように口を強制的に動かされることで言葉が伝わる。出した答えはレオナもラギーも同じだった。最後にラギーはいつもの両の口角を不揃いにあげた笑みを見せ、そして次の瞬間ユニーク魔法は解け、レオナはふ、と体の自由が戻る感覚を得た。

「ハッ俺に命令とは偉くなったなラギー」

 ユニーク魔法で共有された笑顔を残したままレオナは言う。

「おねだりに答えてやろうじゃねえか」

 マジカルペンを振りかざす。するとそれに呼応して地面から光が立ち上り始める。続いてザザ、と砂が流動し黒い砂粒が上空に終結し始めた。

「これは……砂鉄……?」

 ブラウンが呟くとレオナは頷く。

「最後の悪あがきが来る。防御手伝えよ」

 怪魚は水の竜巻を出現させ、レオナたちに放つが、ブラウンによって放たれた木属性の風の渦で相殺される。

 上空には鉄の巨大な槍が完成しつつあった。

「ライオンが槍で狩りをすることになるとはな。しかも魚相手に」

 レオナの言葉に怪魚は本能的に命の危機を察する。狩る側と狩られる側が決定した瞬間だった。海へ逃げ帰るべく、方向転換をする怪魚にレオナは笑って言い放つ。

「ばぁか。もう遅えよ」

 その言葉に反応するかのように、先程ラギーがつけた怪魚の傷跡が赤く光る。槍の照準を決める魔力のマーカーを仕込むくらい手癖の悪いラギーには朝飯前だった。

「外さねえ」

 飾り気のない一本の槍は牙のようにも思えた。レオナがすい、とマジカルペンで円を描くと、槍の穂先は怪魚へ狙いを定める。あばよ、という言葉と共にそのまま親指を地面へ向けると次の瞬間には漆黒の牙が怪魚の頭部を貫いていた。

   ◇

「ラギー、おい起きろ」

「う……」

 砂浜に横たわるラギーの頬をぺちぺちと叩いてレオナが起こす。槍が怪魚に突き刺さると同時にラギーを捕らえていた水柱は瓦解した。

「魔力の残留反応はなさそうだが違和感あるか」

「いやあれはただの海水ッスね……。普通に海に沈められたのと変わらないッス。あー鼻も目もいってぇ」

「体は」

「だるいけど問題ないッス。オレ肺活量あるんで」

へらっと笑うが溺れ死にかけた直後でさすがにその笑顔には力がない。

「魚は……どうなりました?」

「あそこで串刺しだ」

 視線を移すと魔力を失った巨大な魚が、波打ち際で黒い槍に突き刺されたまま、まだわずかに動いていた。

「うわまだ生きてる。とどめささなくていいンスか」

「もう魔法は撃ってこないからな。それに」

 レオナがマジカルペンを取り出すと、石はどす黒く染まり元の色はかろうじて見える程度になっていた。

「こっちもギリギリだ」

 声には安堵がにじんでいた。その言葉を聞いて、ラギーは体を起こすと右のてのひらをレオナに向ける。

「でもオレたちの勝ちッスよ」

 ラギーはシシッと笑ってみせる。大切なものを守りきり、何も奪わせなかった。満身創痍ではあるが、完全勝利だ。

「ああ」

 にっと笑ってレオナがラギーのてのひらをパンと叩く。

「俺たちの勝ちだ」

 ささやかな勝利宣言に呼応するかのように波の音がする。いつの間にか雨はあがり、雲は消え、日は沈もうとしていた。

   ◇

 ところどころえぐられた砂浜はきれいに均され、ベンチとテーブル、簡易照明が並んでいた。炊き出し用の大きな鍋が、火にかけられている。

「なんでこんなことになってんだ」

 これ使ってください! と若者が持ってきた折り畳み式の椅子に座ったままレオナがぼやく。

「いやせっかく仕留めた獲物なんだから食いましょうよ」

「お前なあ……」

 ついさっきまでびかびか光りながら魔法を繰り出してきた生き物をよく食べる気になるな、とレオナは思う。ラギーの食い意地は理解してはいるが、その理解の斜め上をいっていることをつきつけられることもしばしばある。

 怪魚を仕留めた後に集まってきた人々のうちの誰かが食ってみようと言い出し、地域の人々があっという間に場をセッティングしてしまった。そのまま砂浜はちょっとした祭り会場のようになり、避難していた人たちも戻ってきてにぎわいをみせている。

 町内会と書かれたテントの下ではむさしのおやじが真剣な顔をして怪魚を捌いていた。

「あんなでかい魚でもうまくやるんスねー。オレでもできんのかな。」

「俺は帰りたい」

「まあまあ。体力回復には食事も重要ッスよ」

 商店の主人が台車でビールを運んできて、大人たちが拍手を送るのが聞こえてくる。

「なんつー図太い町」

「ほんとッスよ」

 二人は思わず笑う。町ごと壊滅していたかもしれなかったのに、人々はいつも通りの生活を延長していく。レオナとラギーの二人での生活も続いていく。

 笑い声と、波の音と、子供たちが怪魚の到来の歌を歌うのが聞こえてくる。

 怪魚の煮込まれた雑炊は、椅子を用意した若者が発泡スチロールの使い捨てのお椀によそって運んできてくれた。命がけの狩りの戦利品はあたたかく、なんだかなつかしい味がした。

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