過去から、未来につなぐ
パーティーの終わりはどことなく寂しい。
寮の談話室で開かれた誕生日パーティーで、ラギーはたくさんのごちそうをたいらげ、目論見通り今までプレゼントを渡してきた連中からのお返しを受け取り、他愛のない話で盛り上がり、写真を撮ってはマジカメにアップし、楽しいと思える時間を過ごした。そこから喧騒が落ち着き、じゃあそろそろお開きにしようかという空気が流れるときに感じる、ゆるやかに失速していくような感覚。終わってしまった後よりも終わりに向かう時間の方が、どこか切ない気がすると、自分の誕生日だからこそ余計にラギーは強く感じた。
「ラギー、タイがおかしい」
そう言ってそばにいたヴィルが歪んでいたリボンタイの形を整えた。
「あざッス」
もう着替えるのだからそのままでもよかったのに、とラギーは思ったが、相手の性質を考えるとそれは言わない方がよさそうだと思って口を噤んだ。
「ラギー先輩は今日は主役なんだから片付けは俺らに任せてください」
いつの間にか近くに来たジャックが、声をかけにきた。サバナクロー寮での誕生日パーティーの準備や片付けは、大抵レオナのサブとしてラギーも仕切り側にまわる。それを気にかけてのことなのだろう。
周りにいた他のサバナクローの一年生たちもわらわらとジャックのそばにきて今日は俺らがとばかりに目を輝かせている。図体はラギーよりも一回り以上大きい連中だが、こうしていると後輩らしくてかわいく見えてくるものだ。
「僕たちも手伝うんで。ブッチ先輩、今日は本当におめでとうございました」
「そんなに量はないけど余った料理とお菓子、タッパーあるので冷蔵庫入れておきますね」
「備品の返却は任せてもらおう!」
屈強な後輩たちに、他寮の後輩であるデュースにエペル、セベクも加わってきた。彼らも律儀にプレゼントをくれた。スラムでは子供たちにはなつかれている方だったが、金にならない人の世話はしていないつもりのこの学園内でも、ほどほどに年下に慕われるのは悪い気はしないとラギーは思った。
「つかラギー先輩、顔広いッスよね。フロイド先輩とジャミル先輩も誕プレ何にしよーって相談してましたよ。うちの寮長もすげー深刻な顔して考えてました」
こちらはあまり片付けを手伝う気のなさそうなエースが、思いついたように雑談をふる。
「シシッ、今日という日のために人脈を広げてあるんスよ」
ラギーが得意げに言うと、エースがちらりとジャックを見やった。ジャックが小声で自分で言えよ、と睨みをきかせる。
「何スか?」
一年生たちの間でこそこそとやり取りされる目線と表情。気になって尋ねるといやー、とか、そのー、とかのもごもごとした呟きが漏れるばかりで明確な答えが返ってこない。意を決したようにエースが口を開きかけたところで、別の人物が先に声を発した。
「ラギー、アンタレオナに何もらったのか聞いてもいいかしら」
「ヴィル先輩ナイス!」
一連のやり取りをそばで見続けていたヴィルが、単刀直入に皆の疑問を代弁し下級生たちからは歓声が上がった。
「え、えー……」
一同の目に映る期待がすごい。
はっきり言ったことはないし、聞かれたこともないけれど、レオナとラギーの今の関係を知った上での質問なのだろう。浮いた話の少ない男子校で、興味が向けられるのは避けられないとはいえ面倒だ。相手が一年坊だけなら有料だといって適当な金額でもふっかければ追い払えるが、さすがに先輩で他寮の寮長であるヴィルにその対応はできない。
「言いたくなければ言わなくていいわ。興味半分と、残り半分はアイツがそういうのちゃんとしてるのか気になっただけだから」
普段似たような好奇心の標的にされている芸能人と、それでもなお好奇心を抑えられない男子高校生と、後輩をよく見ている先輩と、それらの側面を併せ持つ人の言葉だった。
「いやー……」
ヴィルの周りの一年生たちの瞳は見たことがないほど輝いている。
「別に言ってもいいんスけど……」
誰かがごくりと生唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
「もらってないんスよね。まだ。次の休みの日に一緒に買いに行って、ついでに、メシも奢ってもらう予定なんで」
ラギーがそう答えると後輩たちはあからさまにがっかりした顔をして、立ち入ったこと聞いてスミマセン等々の言葉を口にしながら解散していった。スラムにいたおしゃべり好きの姐さんたちを思い出す、とラギーは苦笑して、お言葉に甘えて主役は部屋に戻らせてもらおうと思った。
「ラギー」
部屋へと足を向けかけたところで、背後からヴィルに声をかけられる。
「はい?」
「アンタ、レオナから本当に欲しいものしっかりせしめなさいよ。プレゼント」
本当にほしいもの、そんな話をいつだったかしたような気がする。
「当然! ヴィル先輩もありがとうございました!」
ラギーは笑顔で手を振って今度こそ部屋に向かった。
◇
なんとなく予想していたから、もう寝ると言って部屋に戻っていたはずのレオナが自室の前にいるのを見ても、ラギーはさほど驚かなかった。
「ちょっと付き合え」
レオナが促すのにウイッスと短く答え、ついていく。
(このままヤったらこの服皺になるよなあ)
そんなことを考えながらそのまま寮長室に入ると、その辺に座ってろとレオナが言うので、ラギーは今朝自分がきれいに整えたままになっているベッドに腰かけた。
腰かけたままレオナを見ていると、デスクの引き出しから何か封筒のようなものを取り出してラギーの方を見るとそのまま近寄ってくる。誕生日にわざわざ手紙を書くなんて柄じゃないよな、とレオナとレオナの手元を見つめたままラギーは思った。
「お前そういうあざといことすんなよ」
ベッドに腰かけたことを言っているのはすぐにわかったので、ラギーは独特の笑い声をあげてレオナを揶揄った。
「いやいや、これであざといとか思うのレオナさんだけでしょ」
長年栄養状態が良くなかったせいで体の薄さはいかんともしがたいが、サバナクロー寮の外では身長はそれほど低い方でもない。華奢ではあるが、やはり細身の女性とは体が生来持っているやわらかさが違う。
それなのにレオナはときたまこういう形容をする。侮られているわけではないことは伝わる。誰がみても美形の一国の王子が自分に傾倒しているのを感じられてラギーは悪くない気がするのだった。
レオナは自覚があるのかないのか言い返すことはせず隣に座ると、やる、と言って手に持った封筒をラギーに手渡した。
封筒は厚手の紙でできていて、エンボスの加工で装飾されている高級そうなものだ。封はされていないし宛名もない。
「これオレの? 開けて良いんスか」
一応確認すると、ん、と肯定を示されたのでラギーはそっと封筒を開いた。
中に入っていたのは一枚の写真だった。痩せた初老のハイエナの獣人の女性が、まだ小さく毛の色は黒いが同じくハイエナの耳を持つ赤子を抱いて、満面の笑みを浮かべている。
「これ……」
写真に写っているのは、今より少し若いがラギーの祖母だ。ということは、腕に抱かれているのはおそらく赤子の頃のラギーなのだろう。
スラムの家庭にカメラやカメラ機能つきの機器はない。こんな写真が存在するなんて、たまたまボランティアが記録しているとかマスコミの取材があったとか、特別ななにかがなければありえないはずだ。
「この写真、どうしたんスか」
「お前のばあさんに頼んで記憶を念写させてもらった」
そういえば少し前の休日、外出届を出して不在にしていたっけ、とラギーは思う。
レオナは事も無げに言うが、念写は機械構造と魔法の関連付けが必要な高等技術だ。被写体である念を持つものが魔法士でないならなおさらだ。専門分野でもないのにこういったことをやってのけてしまうあたりはさすがと思ったが、これを今日という日に手渡されることの意図についてはラギーには図りかねた。レオナらしくない贈り物だとすら思う。
だけど。
ラギーは改めて写真を見る。スラムに貧しく生まれついても、この祖母に育てられたことはラギーの誇りだった。その誇りがあるからこそ、明るい未来を夢見ることができているのかもしれない。
ハイエナは仲間を大切にする。だが子供が一人増えればそれだけ食い扶持は増える。ラギーにとってはまだ少し遠い話だが、そこに大人たちの葛藤がないはずがなかった。
だからこそ祖母の笑顔は、ラギーが生まれたことを祝福し、そして今ここにラギーがあることの確かな肯定だった。写真一枚に、こんな気持ちになるなんて、ラギーは今まで知らなかった。
「……ありがとうございます。大切にするんで」
意外なプレゼントを丁寧に封筒に戻し、ラギーは笑ってみせた。
らしくないのは本人もわかっているのだろう。レオナはああ、とだけいって少しぎこちなく笑った。
「お前は」
一呼吸ついてレオナが呟く。
「前向きなのは長所だけどな、自分が築き上げてきたものもたまには振り返れ。それは自信になる」
自分が築き上げてきたもの、ラギーは先程までいた誕生日パーティーに思いを馳せる。スラム生まれでほとんど身一つでやってきたこの学園で、たくさんのことを学び、力をつけ、そして誕生日を多くの他人に祝ってもらえるようになった。
生きていく上で何が必要で何が不要かを考えることは、効率がいいが今の時点では不確定でもある。ならハイエナらしく、出会えたこと、人、手に入るすべてを喰らってやろう。そうやって、自分の血肉にしたものを無駄にしないで生きていこう。ラギーはひとまず、レオナの言葉を咀嚼した。
「それに」
ラギーはレオナの言葉の続きを待ったが、レオナはそのまま黙ってしまう。
「それに?」
「……あとは自分で考えろ」
「えっなんスかそれ!?」
ラギーがブーイングすると、レオナはいつものニヤニヤ笑いを浮かべる。
自分で考えろ、テメーでやれ、こういうときそれ以上答えはもらえないことはラギーにはわかっている。もー、と大袈裟に言って呆れたようにラギーが笑うと、レオナはそっとそのビスケットブラウンの髪に手を差し入れ、唇を重ねた。
「そういう誤魔化し方ずっる。悪い大人ッスね」
ラギーが共犯者みたいな笑みを浮かべてそう言うと、レオナは、ふ、と笑ってもう一度キスをした。
(未来ばっか見られると、周りの人間は焦るんだよ)
それは絶対に口にされることのない、レオナの焦燥感だった。
ラギーがそう望むのであれば、自分はいつも自信をもって笑っていたい。だからこの思いは見せられない。自分の人生で初めて抱く種類の柔らかなプライドを心に秘めたまま、レオナはラギーをそっと押し倒した。
◇
……少し前のこと。
「ラギーから話はきいとるよ。随分世話になってるみたいだね」
あいにく客に出せる茶も茶器もないが、といいながら老婆はレオナに椅子をすすめた。不用品を修復して作られたのであろうその椅子は、粗末ではあるが修繕したものの手先の器用さを感じさせる出来だった。
「いや、突然の訪問と不躾な依頼をこころよく受けてくださってありがとうございます」
レオナは礼を尽くして感謝を伝える。身分を明かしても物怖じせず堂々とした振る舞いを崩さないその老婆は、紛れもなくラギーを育んだ人物であると感じさせた。
「それで、ラギーとの思い出を写真に写すって話だったかね。魔法士ってのはそんなこともできるのかい」
手渡したカメラを珍しげに、しかし大切そうに、手元で点検しながら、彼女はそう言った。
「はい。ただ強くその思い出を頭に浮かべながらボタンを押していただければ、あとはこちらで現像します」
「ほお」
興味深げに笑うと、老婆は目を瞑りそっとシャッターを切って、もう一度カメラを眺めまわしてからレオナに返した。
「ありがとうございます。写真は現像したらこちらにもお持ちしますので」
「おや、うれしいね! ありがたく頂戴するよ」
にかっと笑ったその顔がやはりラギーによく似ているとレオナは思った。
「それにしても一国の王子がずいぶんロマンチックな贈り物をするじゃないか」
「貴女こそ、一国の王子に気さくでいらっしゃる」
皮肉で返したが、この気さくさはレオナにとって心地の良いものだ。初対面なのにどこか懐かしいような気すらする。
「アンタは過去を大切にするんだね」
少し優し気な声色で、彼女はレオナに語り掛ける。
「……女々しいと思いますか」
ラギーとよく似たその人に、聞いてみたいと思ってつい心にある疑問を口にした。
「いや、結構なことだよ。あの子は未来を大切にしてるからね」
彼女はそう答え、そして確信を持ったようにこう言った。
「過去と未来はつながってるものだ。相性バッチリだよ」
とびきりキュートにウインクする愛しいハイエナによく似たその占い師のいうことは、信じてもいいなとレオナは思った。
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