海沿いの町
面倒なことになったな、と頭の後ろで手を組まされたままレオナは思った。そう広くはないコンビニの店内、少し離れた場所では痩せた男が獣人の少女を左腕で抱え込み右手で持った日常生活では見ないタイプの大きなナイフを突きつけている。
「僕は優秀なんだ……。だから間違ってるんだ……。不正が……。手違いがあったのにそれを認めない……」
男はなにやらぶつぶつ呟いているが、声が小さく聞き取りづらいのと、聞き取れる部分も脈絡がないのとで、何を言っているかはよくわからなかった。時おり動くなよ! と急にわめきたてるから声が出ないわけではなさそうだが。金なりなんなり要求が明確であれば交渉の余地もあるだろうが、今のままでは難しい。
人質にされている少女は泣きもせず無表情のままじっとしている。だが黒い瞳は揺れ、ネコ科のものであろう耳はぺたりと畳まれしっぽは体にぴったりとまきついていた。男は少女のほうを見ていない。ときおりぐいぐいとつきつけられる刃がいつ少女の肌を傷つけるか、それを思うとレオナにとって容易であるはずの犯人の制圧は、実行に移すのが躊躇われた。
レオナは男と少女から目線を外し、同じように身動きとれずにいる他の人間を観察する。コンビニの制服を着ている中年の女性と背の低い若い男、学校帰りらしき男子学生、少女の保護者らしき熊の耳をした大男。熊の獣人以外はとてもじゃないが武闘派には見えないし、獣人はガタイは良いが素早く動けそうには見えない上に、丸眼鏡にすこしくたびれたシャツにベストという服装からしてインテリ系だ。魔力の残滓も感じられないからおそらく全員魔法士でもない。
ついでに道路に面しているものの駐車場のないこのコンビニに、海沿いの景色を楽しむドライブ客はほぼ立ち寄らないし、徒歩や自転車の人通りは少ない。助けに入ろうとする人間どころか、この状況に気づいて警察に通報する人間もしばらくは現れないだろう。
(あいつが戻るまで、10分はかからないだろうな)
この周辺のこと――しばらく滞在するのに「問題」はないか、地元の若者らしき連中に探りをいれてくると言っていたラギーの様子をレオナは思い出していた。ラギーのユニーク魔法は対個人への制圧に長けている。また、対象に自分と全く同じ動きをさせるというシンプルで範囲が限定されたものである分、発動が容易かつ気づかれにくいという特性がある。かつて通った学園内でそのユニーク魔法を使って次々と傷害事件を起こした時も、発生頻度の異常性に気付くものはいてもラギーと結びつけることに時間がかかったのはその特性故だろう。おまけに証拠も残りにくい。
(ラギーを待つのが最適解、だろうな)
今ここで魔法を使える人間だと認識された上で目立つことは、レオナたちにとっては都合が悪かった。
あとはあの痩せ男がこのままの状態でいてくれれば良いが、とレオナが考えたまさにその時、男がまたわめきだした。
「なんでまだ警察が来ないんだよ! 遅いだろうがよぉ……。そもそもなんでこんなことになったのかだよ……。あいつらがちゃんと不正を見つけないからだろうが!」
男がゆらゆらと体をゆするたびにナイフが少女の頬にぴたぴたとあたっている。少女は目をしっかりとあけ、口をきゅっと結んでいる。泣き出してもおかしくない状況にも関わらずそうしないのは、男を刺激することが自分への危害につながりうることをわかっているのだろう。だが、幼い少女に今の状況は酷すぎる。小さな口がひとたびぱかと開いてしまえば、声をあげてしまいかねない。そしてそれは時間の問題に思えた。
だが店内に走った緊張は、この場に不似合いな入店メロディーと――レオナの待っていた新たな客の声で一瞬破られることとなる。
「あれ? なに? これどういう状況ッスか?」
「手を頭の後ろで組めェエえ!」
すぐさま男が叫んだ。緊急事態を知らせる店外のランプをつけそびれていた店員たちは、ああ運がない人がまた一人、という顔をしたが、「初手」がしくじったときに備えていたレオナはその言葉をきいて内心ほくそ笑む。場にカードさえ出てしまえばこちらのもの、状況の飲み込めない演技40点、魔法発動の好条件にこぎつける運の良さ80点といったところだが及第点だ。ラギー、やれ。レオナは目で合図した。
「はぁ~い」
と男に対してかレオナの合図に対してかわからない承諾の返事をしてラギーはゆっくりと手を降参するようにあげ頭の後ろへ――そして男もラギーと「なぜか全く同じように」ナイフを持ったまま両手を上げ、他の客と同じポーズをとった。
店内の人間のほとんどは凶悪犯の突然の行動に唖然とするばかりだったが、少女は機転を利かせぱっと駆け出し、保護者に抱きつく。それと入れ違いに男に駆け寄り一瞬で距離を詰めたラギーが腹に2発、顎に1発拳を入れるのと、レオナの放った木属性の魔力のツルが男を拘束するのがほぼ同時だった。男は完全に沈黙した。
◇
「オレたちヨソモノなんで、警察とか面倒ッス。店員さんがやったことにしてくれないッスかね?」
店員が通報し、警察を待つまでの間、ラギーとレオナはその場にいた人間たちに犯人を取り押さえたのは店員の若い方の男ということにしてもらえないか、と交渉した。気絶したままの男は拘束の魔法は解かれ、手足をガムテープで縛られ転がされている。
「えー。お兄さんかっこよかったのに。ヒョーショーとかされるんじゃないの?」
ラギーのパンチを真似しながら男子学生が言う。
「いやー困ったときはお互い様。かよわい女の子があぶない目にあってたら助けるのは当然のことッス。オレら自由を求めるサバンナの風なんで、地位や名誉はいらないッスよ」
金一封もらえるなら惜しいッスけどね、と小声でつぶやいたラギーをレオナが小突く。
「そういうわけだ。かまわないだろう? 別に俺たちは誰が身代わりになってくれても構わないんだが、お前が一番それっぽい」
指名された店員の男はまんざらでもなさそうだ。口を少しもごもごと動かし、凶悪立てこもり犯を拘束した英雄にふさわしいとされたことにやや誇らしげな顔をしている。
「じゃあみなさん、良いッスか?」
はーい、と一同が声をそろえたところでチカッと光が明滅する。高度な精神干渉、レオナによる合意をトリガーにした記憶の一部改ざん魔法だ。ここにいるライオンの獣人とハイエナの獣人はこの場にたまたま居合わせたいずこからか訪れた旅行者である、と全員の認識を塗り替える。
「オレたち先を急ぐんで、ここらへんで失礼します! 店員さん助けてくれて本当にありがとうございましたぁー!」
◇
「お前演技下手だな」
店を出て歩きながら、レオナは言った。小馬鹿にしたようなニヤニヤ顔にむくれながらラギーが言い返す。
「勝手に巻き込まれといてよく言うッスね……。あいにく役者のバイトはしたことないんで。つかレオナさんならオレいなくてもうまくやれたんじゃないッスか?」
「目立つのNGと人質って制約がなければな。で、遅れた分成果は持って帰ってきたんだろうな」
「レオナさんが目つけてた通りッスよ。近くに結構前に発見された遺跡があって、外部から人が来ることはそこそこあるけど殺到ってほどじゃないみたいッス。二駅先がちょっとした観光地だから、不特定多数の人間が集まるのはそっちになる。こっちの駅は各駅停車しか止まらないし。話きいた連中も、普段は来ないから寄ってみたけど特に面白いことはないからやっぱりいつもの方で遊ぶ、って言ってました」
つまり、とラギーが続けたところにレオナがかぶせる。
「つまり俺たちが暮らすのにちょうどいいってわけか」
派手なことをしないですませたのは正解だったな、といいレオナはひとつあくびをした。
海沿いの道路の白線の内側を歩くレオナの足取りは軽い。機嫌がいいの、わかりやすいなあとラギーは思う。
「レオナさん悲壮感全然ないッスね。不安とかないんスか?」
そういうラギーも、新しい悪だくみを始めるときの顔をしていた。計画は周到に行い、ラギーにとっての三つの大切なもののうち、敬愛する祖母は信頼できる人間に預け、汗と涙(ラギーのではなくカモとなった人間のだ)の結晶である貯金は半分は祖母に持たせ半分は背負ったリュックの中、そして一緒にいることを願った彼の王様はすぐ隣で笑っている。不安などあるはずもない。
「お前にないなら俺にもない。それに」
永遠に続くかのような青い空と海をバックにレオナが笑う。
「駆け落ちが重苦しいものじゃなきゃいけないなんて、誰が決めたんだ?」
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