特製スペシャルラーメン950円
「うわあうまそうなにおい」
「俺ラーメン屋で食うの初めてかも」
臙脂色の布に白い文字で「ラーメンふとし」と書かれたのれんをくぐって店内に入ってきた若者たちは、はしゃいだ様子で四人掛けのテーブル席につき、簡素なメニュー表を見ながら注文を検討し始めた。
この島には名門魔法士養成学校が二つもあるが、全寮制ということもあり平日日常的に街が学生たちでいっぱいになるということはない。それでも部活や課外活動やそれらに付随する何らかの事情で、こうして街に制服姿の生徒たちが現れることはしばしばのことであり、そんなとき彼らはいつだってこんな風に「シャバの空気」を満喫しているのだった。
「ラギーサン、その、本当におごってもらっちゃっていいんですか……?」
今日買い出しについてきたマジフト部一年生三人のうち、一人だけ一回り以上体の小さいエペルが心配そうにラギーに尋ねる。もっとも声音こそ他寮の先輩への遠慮が含まれているが、彼も一端の男子学生であり、こういった店での外食とメニューに並んだおいしそうな文字列たちに目を輝かせている。
「大丈夫ッスよ。金の出どころはレオナさんなんで」
答えてやると後輩たちはぱっと顔を輝かせてまたメニューを凝視し始めた。
(なつかしいな)
その様子を見ながらラギーは、初めてこの店に来た時のことを思い出していた。
◇
学園生活を上手くやるには強い奴につくのが一番良い。
そんな打算から目を付けた寮長でマジフト部部長のレオナ・キングスカラーが、備品の買い出しの手伝いを募ったときに、ラギーは真っ先に手を挙げた。
怖がって近寄りたがらない連中もいたが、周りに怖がられてることこそがその時のラギーにとっては魅力的に思えた。当初は王族というだけで上に立たれるのは気に食わないと思っていたが、入学して一か月も経てばその男が出自のみでその位置にいるのではないことはラギーにはよくわかった。人の上に立つ能力を持った、恐れられる存在。取り入らない手はない、と近づくチャンスは常に狙っていた。
おそらく荷物持ちをさせるつもりだったであろうレオナは、立候補した痩せっぽちのハイエナを見て、一瞬思っていたのと違う、というような顔をしたが、次の瞬間にはどうでもよさそうにじゃあ部活後更衣室前で、とだけ言って、今度は練習メニューについての話を始めた。
麓の街にある、街の規模に対してはやや大きいスポーツ用品店は、レオナにとっては既に馴染みらしく、いくつかの商品を慣れた様子でラギーの持つかごの中に放り入れ、またいくつかは注文票に商品名と個数を記入してレジへ向かおうとしていた。
「おやキングスカラー様」
不意に声をかけられ二人で振り向くと、「店長」と肩書のついた名札をつけたでっぷりとした中年の男がにこにこしながら立っていた。
「お買い物ありがとうございます。本日もマジフトの備品でよろしいですか?」
かごの中をちらりと見やりながら男は明るい声で尋ねる。
「ああ。練習用ディスクの予備は数が多いから配送で」
注文票をひらひらさせてレオナが答えると、店長は食いついた。
「ディスクでございますか。それでしたら、新しいタイプのものが予約開始しておりますが、いかがですか? XXメーカー製で品質も確かでございます」
男はポケットから端末を取り出してすいすいと操作し、こういった特長があって……、と説明し始める。新製品の存在は知っていたのか、レオナはその説明を遮ることはなくとりあえずといった体で耳を傾けていた。
だがラギーはその説明に違和感を感じ、思わず口を挟んだ。
「あの」
二人分の視線がラギーに注がれる。
「あの、今日の買い物ってオレら新入部員用ッスよね? 箒の落下防止パーツとか、テーピング用品とか……。ディスクもオレらがノーコンでどっかやったり魔力調節ミスって壊したりするからまとめて購入するんじゃないんスか? なら型落ちとかで値段下がってるやつとかでいいんじゃ」
ないかとオモイマス……、と最後はぼそぼそとラギーは言った。途中から自分が金を出すわけでもないのに差し出がましかったか、と少し悔やんだ。少しでも安く買い物を、というのはもはや染みついた習性になっているので仕方がない。
ちら、とレオナの顔を見やると顎のあたりに手をやり何やら考えているようだった。
「店長」
「はひっ」
ラギーの言うことはもっともだと店長も感じたのだろう。割高な新製品を売りつけるつもりだったのかと責められやしないか、そんな危惧をもった返事だった。
「新製品のほうは1ダース買う。安くなってるやつで悪くないのがあればそれを3ダース欲しい」
「えっ、あ、はい。それでしたらこちらはいかがですか? 発売して一年以内ですし、型落ちといっても他のメーカーの最新製品と遜色ないかと。メーカー欠品もしていないので、すぐ取り寄せられます」
「うちでも使ってるやつか。……結構下がってるな。これにする」
レオナの反応に安堵した店長はありがとうございます! と大げさに言ってレオナから注文票を受け取ると2種類の型番と数量を記載して返した。
そのままレジで会計と注文を済ませると、二人は帰路についた。
「おい」
「ひゃいっ!?」
行きは無言だったから、いきなり声をかけられてラギーは先ほどの店長のような声をあげてしまった。
レオナはそんな様子に気を留めることもなく、スポーツ用品店のある通りにある臙脂色ののれんのかかった店を見て、またラギーに視線を戻すと思いがけないことを言った。
「食ってくか」
「え」
正直なところ手持ちがない。
そんなラギーの意を察してかレオナは続けた。
「奢ってやる」
「あざッス!!!」
ラギーが即答すると、レオナはぶはっとふきだして、お前は本当にゲンキンなやつだなと言った。だいたい仏頂面で、笑うときは人を馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いをする人の笑った顔を、ラギーはその時初めて見たような気がしたのだった。
店内は広々としているが、大衆向けの素朴な作りで、王子様でもこんなところでメシ食うんスねとラギーが言うとレオナはいや俺も初めて来たと答えた。
メニューには写真が載っているものと商品名のみのものがあったが、特製スペシャルラーメン950円というのがチャーシューと鶏団子と特製煮卵全部乗せと書いてあり一番おいしそうだったので、ラギーはそれを注文した。レオナはラギーに続いてそれもう一つと店員に告げた。
ラーメンが運ばれてくるまでの間、いろんな話をした。
備品は買うだけなら通販でいいが、モノの確認をするなら店舗が一番いいこと、部員の誰かをパシらせたいがボンボンが多いため買い物はあてにできないこと、今年の一年は備品を壊し過ぎだということ。特製とスペシャルは意味が重複しているんじゃないかということ。
自分の国の王子サマで、皆から恐れられている人と、こんな店でこんな話をする時間が訪れるなんて、ラギーはついさっきまで思ってもみなかった。
「お前、ずっと俺に取り入ろうとしてただろ」
レオナが急に話を変えるから、ラギーは飲んでいた水が変なところに入ってせき込んだ。
「あー……。まあバレてましたかね。ハハ……」
「当然だろ。でも」
レオナはニヤッと笑って言った。
「俺を引きずりおろしてやるみたいな顔してることもあるからな、お前。面白えなと思ってたら、頭もそこそこ回りそうだし、ディスクの話だけじゃなくて儲けたかもしれねえな」
「!」
これは、「取り入れた」とみて良いだろう。シシッと笑って人差し指と親指でマルを作る。
「報酬次第でなんでもやるッスよ!」
運ばれてきた特製スペシャルラーメン950円は、成功の味がした。
それはラギーがレオナから初めて受け取った「報酬」だった。
◇
それからレオナはラギーへの報酬を惜しむことはなかった。王族で、金銭面に余裕があるからだと最初は思っていたが、金銭、物品、食事だけにとどまらず、スラム出身でどうしてもこれまで享受することのできなかった教育まで、レオナは与えてくれた。
パシリ兼世話係のようになって最初の頃に一度だけ、レオナさんは払いが良いッスね、と言ったところレオナは珍しく真面目なトーンでこう言った。
「俺は働き以上の報酬は払わねえよ。金で釣ったやつが能力以上のことをできるようになるとは思わねえし、金で付いてくるようなやつを信用もしねえ。お前が俺の報酬が多いと思うのは、今までの報酬が少なかったからじゃねえのか」
そして、能力の搾取に慣れるな、と言ったあとひどく不機嫌そうになった。その苛立ちはおそらくラギーに向けられたものではなかった。その時は、こんなになんでも持ってる人でも、搾取されるようなことがあるんだろうかとラギーは不思議に思ったものだった。
また、紆余曲折を経てあのラーメン屋で食事をした時には想像もしていなかったような関係になってから、レオナが与えてくれたもののうち、一部は報酬というだけではなかったのかもしれないということに思い至り、ラギーがだいぶ胸を焦がしたのはまた別の話である。
「レオナさんただいまッスー。頼まれてたもの買ってきて部室に置いときました」
「ああ」
読んでいる本から目を離さずにレオナが答える。
「今日エペルくんたちとあのラーメン屋寄ってきましたよ」
「においでわかる。腹減った」
「ラーメン作ります?」
「肉多めで」
もはや日常的になったそのやり取りをしていると、レオナがフッとふきだす。
「特製スペシャルラーメンてネーミングいまだにわかんねえよ。初めて行ったときお前遠慮なく一番高いの頼むし」
「一番うまそうなのが一番高かっただけッスよ! でもうまいッスよねえ特製スペシャルラーメン」
「まあな」
まだおかしそうな顔をしたレオナの表情に、なつかしそうな空気が混じる。
「ああいう店で学校のヤツと飯食うの、初めてだったからな。俺にとっては確かに特製でスペシャルだったよ。一生忘れられそうにない」
レオナお墨付きの頭の回るヤツであるところのラギー・ブッチは、その言外の意味をきちんと拾ってしまい、ちょっとだけ顔を赤くするのだった。
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