たんじょうびのうた
出かけてくる、と一言だけの書き置きと、不在がばれるまでの時間稼ぎのちょっとした細工を残してレオナは王宮を出た。空気が冷たい。時計を見ると、ちょうど日付が変わったところだった。
夜が明けてからの予定はそこそこ重要なものだった。それをすっぽかしてこんな深夜にこそこそと抜け出す目的が、あまりにも子供じみていることがおかしかったが、気分は高揚していた。指定した場所に先に着いていた待ち合わせ相手にも、会うなりなんか機嫌良いっスねと指摘される。
「お前、他に何か言うことないのかよ」
言えばハイエナの獣人はシシッと笑って応えた。
「レオナさん、お誕生日おめでとうございまーす!」
ホリデー前恒例となっている、スラムへの手土産のかき集めと荷造りで忙しなく動きまわりながら、ラギーがレオナに誕生日の予定を尋ねたのがことの発端だった。
「そういえばレオナさん誕生日ッスよね。祝いたいッスけど帰省中だし、王宮で誕生日パーティーとかするんスか? 当日無理なら別の日でもいいッスけど」
それなりに近い関係ではあったが、今まではわざわざホリデー中に約束を取り付けてまで誕生日を祝おうなどと思ったことはお互いなかった。が、今年は違う。誕生日を一緒に過ごしたい、祝いたい、ということが自然と伝えられる「関係」に変わっていた。
レオナは少し逡巡して、いや、とつぶやいてからまたしばらく黙った。この人がこういうことを即答しないのは珍しい、とぼんやり思いながらラギーは耳をぴると動かしてレオナの答えを待った。
「王宮での祝宴はフケる。で、お前のところに行く。誕生日パーティとやらしてくれよ。」
「は? それって大丈夫なんスか?」
「なんだ祝ってくれるんじゃないのか」
「そのつもりはありますけど……」
さっきまで考え込んでいたのに、レオナはもう決定事項だとばかりにニヤニヤとしている。
「王宮から逃げ出した王子サマを匿うことになるとは思わなかったッスね……」
「貴重な経験じゃねぇか。就職試験で他の奴にないアピールポイントになるぜ」
「自分からヤバい奴アピールしてどうするんスか! 適当なこと言わないでくださいよ!」
「じゃあ誕生日を一緒に過ごしたいっていう俺のかわいいオネガイは却下ってことか?かなしいなあ、ハニー」
1ミリも悲しくなさそうな顔のまま言うレオナに、ラギーは折れた。
「……オレとかばあちゃんとかがヤバいことにならないようにしてくれるって条件付きで、オーケーッスよダーリン」
面倒なことになるのがわかっていて誕生日を一緒に過ごしたいというわがままは、特に実家関係では慎重なレオナにしては珍しくて、ラギーはつい承諾してしまった。スラムで身につけた大切な武器である超高速の損得勘定能力が、レオナ相手には鈍るようになったのはいつからだっただろうか。その鈍くなった部分を無遠慮にさわり確かめてみるが、いまだに自分の心を正確には捉えられない。
満天の星空の下、スラムへ続く道を歩きながら、ラギーはバースデーソングをくちずさむ。
「ハッピーバースデー ディア レオナさん ハッピーバースデー トゥー ユー」
「お前歌下手だな」
「うるさいッスよ!」
「その歌、初めて俺の名前で歌われてるのきいたな」
レオナがつぶやくと、え、とひどく驚いた声が返ってきた。
「え、まじスか。この歌歌わないんだ王族」
「王族が歌わないかは知らねえけど、俺は聞いたことないな」
「えー……」
そんなことあるのか、とラギーは思ったが、あのオーバーブロット時にレオナが口走った中に「生まれつき」「忌み嫌われている」という言葉が含まれていたのははっきり覚えている。レオナの悲哀は単に王位継承権の低い第二王子だからというだけではない何かから来ているのだろう。
自分よりずっと明るい場所にいる強い人が自分を重用してくれているのだと勝手に誇らしく思っていたのに、実際は這い上がれないものとして、薄暗いシンパシーを感じられていたことは衝撃だったし、その上で今までレオナから与えられてきたもののことを思うと、この人を嫌いになることはできないと、あの時思ったのだった。
「じゃあ今までの分もオレが歌うから、ちゃんと聞いてくださいよ。あと20回」
「ハハッマジか! 音痴なのに」
愉快そうにレオナが笑う。
「出血大サービスッスよ! ありがたく受け取ってください! あっろうそく代わりに星の光消すのはどうです? 全部で何本だ……。ええと……」
「ばぁか俺を破壊神にでもするつもりか。そんな力があるなら別のことに使ってる。」
本当にこの星がレオナさんの祝われなかった全部の誕生日に灯されたろうそくならいいのに、口には出さなかったがラギーはそう思わずにはいられなかった。祝福されなかったこどもは永遠に暗いところから出られないのだろうか。今ここにいるレオナが楽しそうに笑っているだけでは満足できない渇きを静かにかみしめて、大きな声で歌うのだった。
ラギーの家は灯りもなく静まりかえっていた。
「お前のばあさんは」
「ベッド2つしかないし、今日は近所の人の家に泊まりにいってもらったッス。つかレオナさん泊まりなのに荷物少ないっすね……。あ、そこ椅子座ってください。」
こんな旧型まだ存在するのかといいたくなるような照明器具をつけて、寝床の支度をてきぱきと整えながらラギーはレオナに指示をする。
「わざわざ悪かったな。というかそこまでするなんてお前そういうつもりだったのか」
「そういうつもり……ってバカ違いますよ!」
意味を理解するとラギーは顔をぱっと赤くして、ヤるためにばあちゃん家から追い出すようなババ不孝者じゃないッスよ! 狭いから! と照れてるのか怒ってるのかわからない、おそらくそのどちらもいりまじった顔でキャンキャンわめいた。もっと擦れてるのかと思っていたがそうでもないらしい、とレオナは勝手に得心していた。
生きるためのあくどいわざは身につけてはいるが、レオナがかつて犬小屋と評したこのスラムの小さな家で、健やかに育てられたのだろう。かつて自分とラギーとを生まれながらに覆せない立場にあるものとして同列にしたことがあったが、前や上を、明るい方を目指す力はこのハイエナのほうがずっと高いのだと、その後思い知ることになったことを思い出した。
「今日は遅いしもー寝ましょー。レオナさんももう眠いでしょ」
「ああ」
「ベッドあんたには固いし狭いかもしれないですけど我慢してくださいよ」
「ああ」
「おやすみなさいッス」
「ああ、おやすみ」
ここは初めて来たがよく知ったにおいもする、そう思いながらレオナは目を閉じる。
バースディソングを歌ってもらったのをきいたことがないとラギーに言ったのは半分本当で半分嘘だ。正確には覚えていないのだ。聞く気もなかった。例えだれかが歌ってくれていたとしても。初めて歌がきこえたのは耳をふさぐのをやめて向き合いたいと思う相手だったから……。
20回分の誕生日を祝われなかった俺、じゃあな。
呪われた子供たちがさらさらと砂になるイメージをみながら、レオナはすぐに眠りに落ちた。
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